耳鼻科医から見たアーティストと演奏 第4回

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耳鼻科医の立場から、医学と演奏を探る

彌勒忠史はカウンターテナー歌手だが、いまでは演出家としても著名な存在となった。2015年に神奈川県立音楽堂で上演された、ファビオ・ビオンディによるヴィヴァルディ《メッセニアの神託》ではその和風の演出が、刺激的な演奏とあいまって話題を呼んだ。10月18日には横須賀芸術劇場で、能の《隅田川》とブリテンのオペラ《カーリュー・リヴァー》の連続上演「幻」の演出も行う彌勒は、この連載が気になっていたとのことだ。<音楽之友社刊「音楽の友」2020年9月号掲載>

「対談というより健康相談」とは彌勒。
もともと理系の出身ということもあって、医学的なアプローチには興味津々だ

ファンクからカウンターテナーへ

 

彌勒さんは、いつごろからカウンターテナーを意識されたのですか。

彌勒

小さいころからファンクが大好きでした。音楽好きな親類の影響で、ジャズとファンク、クラシックが私の三本柱でした。とくに、当時はディスコ・ブームなどありました。そういうところでアフロ・アメリカンの人たちの歌うファンクやR&Bなど、そういうものの多くが、ファルセットなのです。

竹田

いわれてみれば、そうですね。

地声とファルセット

 

5つの筋肉をうまく滑らかに切り替えるように使い分けると、ブレイクすることが少なくなります。

竹田

通常の発声時、声帯は開閉を繰り返しています。地声の場合、左右の声帯はしっかり合わさる(閉じる)のです。ファルセットの場合はあまり合わさらないような感じで、非常に細かく振動させています。喉頭の声帯を動かしている筋肉は5つあり、その5つの筋肉をうまく調節しながら声を出しています。どこの部分の筋肉をよく使うかによって変わるのです。

彌勒

なるほど。裏声の部分と地声の部分との境目がほとんどわからない人と、完全に音質が変わる人がいます。調整のしかたで、境目の部分を柔らかく乗り越えることができるのでしょうか。

竹田

そうです。とくにベルカントの発声ですと、コロッと変わるのはあまり好まれません。このチェンジと呼ばれる場所で、5つの筋肉をうまく滑らかに切り替えるように使い分けると、ブレイクすることが少なくなります。それは訓練です。ファルセット的な使い方と地声の使いかたとをはっきり分けてしまうと、境目がはっきりとして、コロッと変わってしまうのです。

彌勒

私自身カウンターテナーなので、声の切り替えが最後まで問題として残ります。加齢とともに、常にいろんなことも変わってきます。

 

カウンターテナーならではの悩みなのですね。

彌勒

僕はアルト的なカウンターテナーではなく、メゾソプラノに相当する高い声域を持つので、初期バロックですとソプラノを歌ったりします。そうすると、もともとの声帯が女性に比べて長いわけですから、たとえば「レ」や「ミ」でチェンジするといっても、このチェンジする「レ」にいたるまでのテンションが、男声のほうが高いと思うのです。同じ音域を歌っていても、カウンターテナーのほうが、そのチェンジはバレやすいような気がします。

 

 

カウンターテナーは、声の切り替えが最後まで問題として残ります(彌勒)
声の音色的な感覚と実際の動きが、一致してくればとよいと思います(竹田)

竹田

声の高さは、声帯の振動数です。おっしゃったように、声帯の長さの違いが関係します。高い音域は声帯が短いほうが出しやすく、声帯が長い人は音が低くなりやすいのです。高くなるためには、張力が必要です。さらに声帯は少し細めの人のほうが、質量が軽くなるので出しやすいのです。喉頭の前方にある輪状甲状筋は、声帯を前後に引っ張る筋肉です。声帯の長さは、前後に引っ張ることで長くなり、そのぶん、音が下がりますが、それ以上に張力が増す効果が高いので、結果、声は高くなります。ですから、カウンターテナーの人にとって、そのような調整には苦労があると思います。

彌勒

たしかに! そういう感覚ですね。

竹田

それから、歌の人は、ご自身の情報をもとにその音に近い音を再生しようとします。ですから、彌勒さんはさまざまなジャンルの音楽をたくさん聴いていたとおっしゃっていましたが、カウンターテナー的な音色感、音の情報がご自身のなかにたくさん入っていて、それを表現することができるのではないかという気もします。そういう意味で、脳にある音のイメージはとても大事です。

彌勒

訓練方法についてアドヴァイスをいただけますか。

竹田

なかなかむずかしいですね。一つには、力が入りすぎると、ブレイクがはっきりとしてしまう場合が多いのではないかと。適度なリラックスが必要です。また、呼吸が支えになっているので、良い呼吸をすることはだいじだと思います。それから、高音のところの感覚がわからない人もいるので、ファルセット的なものを練習する。あとは、つなぎ目のところを意識しながら、ゆっくりと慎重に練習してみるとよいと思います。

彌勒

それは、身体内部の感覚を頼りに訓練するということでしょうか。

竹田

声の音色的な感覚と実際の動きが、一致してくればよいと思います。

能《隅田川》╳ブリテンのオペラ

竹田

ところで、10月に横須賀芸術劇場で行われる能の《隅田川》とブリテンのオペラ《カーリュー・リヴァー》の公演にたずさわっているそうですね。じつは、私は能管を吹いています。

彌勒

今回、私は演出家としてかかわっているのです。ところで、竹田先生はなぜ能管を演奏されるのですか。

竹田

笛のような楽器が好きだったのです。当時は文化庁の能楽養成会があり、応募しました。日本の笛も面白いという人がいて、実際に聴いてみるとフルートとは違う世界ですよね。三尺三寸(約39センチ)しかない笛ですが、パワフルですよ。

彌勒

能管の響きは、空気を切り裂くようですよね。

竹田

能の《隅田川》もそうですけど、現実の世界から入り、亡くなられた人との時空を超えた対話、この世界と違う世界とを結ぶような音色…… それを表現するのにまさにぴったりなのです。残念ながら、《カーリュー・リヴァー》を実演では見たことがないのです。

彌勒

私は、日本の文化をバックボーンに育ってきた人間なので、そういうものが好きですし、世界中のいろんな人に知ってもらいたい。ですからたとえば、日本の伝統芸能の家に生まれたかたや、それにかかわる実演家のかたとは別の形で、日本の文化をクラシック音楽の舞台から発信していきたいと思っています。

プロフィール

彌勒忠史(みろく ただし)

1968年生まれ、東京都出身。平成24年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。千葉大学大学院修了。東京藝術大学卒業。CD「No early music, No life?」(朝日新聞推薦盤)など。著作『イタリア貴族養成講座』(集英社)、『歌うギリシャ神話』(アルテス・パブリッシング)など。日本音楽コンクール、東京音楽コンクール等の審査員。フェッラーラ・ルネサンス文化大使。二期会会員。

竹田数章(たけだ かずあき)

1959年生まれ、京都府出身。仙川耳鼻咽喉科院長。日本医科大学大学院博士課程卒業。医学博士。現在仙川耳鼻咽喉科院長。桐朋学園・洗足学園非常勤講師。音声生理学や臨床音声学の講義を行う。文化庁能楽養成会(森田流笛方)研修終了。趣味は音楽、スポーツ、観劇、フルート、書道。監訳書に『ヴォイス・ケア・ブック 声を使うすべての人のために』(ガーフィールド・デイヴィス&アンソニー・ヤーン著、音楽之友社刊)、『発声ビジュアルガイド』(セオドア・ダイモン著、音楽之友社刊)。

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