耳鼻科医から見たアーティストと演奏 第32回
- コラム
耳鼻科医の立場から、医学と演奏を探る
笛田はこの日、鼻とのどの不調を訴えたため、連載史上初めて実際の治療を受けた。
<音楽之友社刊「音楽の友」2025年月11号掲載>

笛田博昭は日本人離れしたドラマティコのテノール歌手。この重く、輝かしい声はヴェルディでおなじみだが、なかなか日本人では出せる人がいなかった。その笛田の声のメンテナンスや身体の使いかたなどはどうなのだろうか。
コロナの後遺症
私は、新型コロナに2回罹ってしまいました。1回目のとき、竹田先生のクリニックにうかがい、Bスポット治療(上咽頭擦過療法)をしていただきました。新型コロナウイルスが流行し始めて、早い時期に罹り、肺炎も患って入院しました。その後の半年間、思うように歌えず、急に調子が悪くなることもありました。私は、もともと喘息を持っています。
コロナに罹った人で、喘息のような症状が出るケースは多く、吸入薬を使ってもらいます。そうすると、早めに抑えることもできます。流行初期のころは、重症化しやすかったと思います。ハイリスクの人たちがいて、その一つが、もともと喘息を持っている人です。糖尿病を患っている人も、要注意ですね。
入院中、レムデシビルを投与したところ、すぐに熱が下がり、身体も楽になり、治ってから1カ月間は歌っていました。でも、ひと月を過ぎたころから、後遺症がひどくなりました。
体調が少しよくなったと思うと、また悪くなる。それを繰り返す人もいましたね。いろいろな後遺症の症状も見られましたが、耳鼻科で多いのは、匂いが感じられなくなるケースです。それから、だるさですね。たとえば、子供の場合、身体のだるさから、ウダウダしていると、親に「運動でもして、体を丈夫にしたらどう?」なんて言われて…… それで体を動かすと、ガクッときてしまう人たちもいました。笛田さんは、がんばって歌っていた1カ月もの間、少し無理していたのかもしれません。ひどいケースでは、ブレインフォグ(※注)になります。
僕も患いました。ブレインフォグになったのは、血圧の関係で倒れたあとでした。もしかしたら、コロナが関係していたのかもしれません。
マッサージと筋トレ
普段から、マッサージなどで、もみほぐしたほうがよいかな、と思っています。実際に効果はあるのでしょうか。
それはよいと思います。流行っているのは、筋肉を覆っている膜(筋膜)を軽くほぐす方法です。筋肉の膜は全身つながっていますので、そこだけではなく、だんだん広げてやってみてください。
楽器を持って移動する際、肩が凝ってしまうときもあります。ひどくなると、息が入りにくくなるような感じがします。
スポーツ選手は、試合の前にストレッチをいろいろ行っています。でも、演奏前にストレッチをする音楽家は少ないと思います。本当はやったほうがよいのです。スポーツ医学より、音楽・芸能系の医学は遅れていると言われています。
じつは、1月からパーソナルジムに行っています。私のまわりで筋肉トレーニングを行っている管楽器奏者はほとんどいません。むしろ、筋肉がついたら吹きにくいと言う人もいます。私のトレーナーは、運動前にストレッチを取り入れています。それを、楽器を吹く前に取り入れてみたところ、息をかなり取り込めるようになりました。それから、筋トレをやっていると、腰や肩の痛みがなくなったり、軽減されたりしました。積極的にストレッチをやったほうがよいと実感しています。
※注:頭の中にモヤがかかったようにぼんやりして物事が思い出せない状態。新型コロナウイルスの後遺症の一つとして知られる
体格と声
身体の大きさについては、みんなが同じというわけにはいきませんよね。
体格と声の関係は、難しい問題です。メトロポリタン歌劇場(MET)の先生によると、昔の名歌手はよい体つきをしていた人が多く、立派な体格の人のほうが声もよいのではないか、と。最近、細めの歌手でも十分な声量の人もいます。METの先生たちのなかでも「体格と声との明確な関連性はない」と言う人もいます。ただ、私のまわりでも、「体格のよいほうが、声が出しやすい」と言う人が多いような気がします。
そうだと思います。実際、歌うときに楽なのです。
体幹、体壁などといいますが、そのあたりの響きは、声を増幅させることができます。学生たちには、オルゴールの実験を見せています。オルゴールのケースを外して音源本体を鳴らせてみると、音が貧弱に聴こえます。でも、ケースに入れて鳴らすと、音がケースに共鳴します。そのように身体が響く感覚も、体壁が音を増幅させているのです。
わかります。自分で背中に壁を作る…… 要は、声がすっぽ抜けてはいけないのです。声がきちんと背中の後ろを通って前に行くイメージです。そのとき、支えるために背中をかなり使います。身体を開き、空洞の筒のようなイメージです。背中=壁で共鳴させ、力を抜いて息を流します。そうすると、声帯の引っ張り加減や調節具合もありますが、空洞の筒のようになった体が共鳴して響きます。でも、力を入れすぎてしまうと、本来響いてくれる部分が少なくなると思います。
私がやっているアーテム・トーヌス・トン(Atem-Tonus-Ton)という呼吸法には、「共鳴のエクササイズ」があります。一人がもう一人の背中に手を当て、その当てた手に向かって声を出してもらいます。その手に声の振動が伝わってきます。
(立って声を出す)あ〜〜〜♪
すごいですね! 話し声でも響いてきますね。手をあてる場所を、いろいろ変えていきます。今度は、もう少し下に向かって声を出してみましょう。上のほうにいくに従って高い声が響き、下のほうにいくと低い声が響いてくる感覚も楽しみながら、遊びながら行なうエクササイズです。
歌う30分前に楽屋の周りを走っています (笛田)
身体が硬いと、響きは悪くなります (竹田)

「共鳴のエクササイズ」を行う
歌う30分前に楽屋の周りを走っています (笛田)
身体が硬いと、響きは悪くなります (竹田)
歌う30分前、私は必ず運動します。舞台に出る直前に声出しするよりも、汗をかく程度に身体を温めています。そのほうが、声が出やすくなります。自分の身体=楽器ですので、声出しはもちろん、最初に体を温めていきます。ウォーミングアップですね。
どのようなウォーミングアップを行っているのですか。
楽屋の近くを走ったり、ビリーの体操も取り入れたりしています。走っている様子を、SNSで配信しているのですよ(笑)。
血流もよくなり、筋肉も活性化すると思います。身体が硬いと、響きは悪くなります。運動することによって、関節も緩まる。ですから、発声練習だけではなく、膝や股関節なども柔らかくしてあげるほうがよいですね。
若いころ、声を出すときには、身体のなかを水が動いているようなイメージをもっていました。
それは、アーテム・トーヌス・トンの呼吸法では、「呼吸とエネルギーの流れ」と言われています。呼吸とエネルギーの流れを全身に巡らせます。たとえば、力士の四股は、身体はもちろん、丹田も鍛えることができますし、地面と自分の下半身や足とが接着する部分の感覚も増します。そうすると、地面からのエネルギーを拾い上げ、それを声に結びつけてあげます。また体が緩まなければ、呼吸も身体に入ってきませんから。

笛田(左)を診察する竹田先生(右)
イラストで知る発声ビジュアルガイド
セオドア・ダイモン 著
竹田数章 監訳
篠原玲子 訳
【定価】2750円(本体2500円)
ONTOMO MOOK『人生をより豊かにする音楽と医学』-
のど、脳、身体の機能から探る
竹田数章/道下京子/堀ちえみ/堀江美都子/三宅由佳莉/山田和樹/上杉春雄/小川典子/他
【定価】1,650円(本体1,500円+税)音楽之友社刊
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=963760

プロフィール

笛田博昭(ふえだ ひろあき)
1978年生まれ、新潟県出身。名古屋芸術大学音楽学部声楽科首席卒業。同大学院修了。第9回マダム・バタフライ世界コンクール及び第50回日伊声楽コンコルソ第1位。 第20回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。2012年フェッラーラ国際コンクール第1位。2023年6月のパレルモ・マッシモ歌劇場引っ越し公演では、急きょ代役として《ボエーム》のロドルフォ役で出演し、異例の大成功を収めた。「サントリー一万人の第九」、「東急ジルベスターコンサート」、「NHKニューイヤーコンサート」、「クラシックTV」などに出演し、近年メディアへの露出も増えている。《第九》、宗教曲のソリストも数多く務め、指揮者からの信頼も厚い。新潟県湯沢町特別観光大使。
■公演情報
◎藤原歌劇団公演《妖精ヴィッリ》(プッチーニ)、《カヴァレリア・ルスティカーナ》(マスカーニ)
〈日時・会場〉東京公演:2026年1月31日・2月1日14時・東京文化会館/愛知公演:2月7日14時・愛知県芸術劇場
〈指揮〉柴田真郁〈演出〉岩田達宗 〈出演〉桜井万祐子(S)、笛田博昭(T)、他
〈管弦楽〉東京フィルハーモニー交響楽団/セントラル愛知交響楽団
〈問合せ〉日本オペラ振興会 044-819-5505

竹田数章(たけだ かずあき)
1959年生まれ、京都府出身。仙川耳鼻咽喉科院長。日本医科大学大学院博士課程卒業。医学博士。現在仙川耳鼻咽喉科院長。桐朋学園・洗足学園非常勤講師。音声生理学や臨床音声学の講義を行う。文化庁能楽養成会(森田流笛方)研修終了。趣味は音楽、スポーツ、観劇、フルート、書道。監訳書に『ヴォイス・ケア・ブック 声を使うすべての人のために』(ガーフィールド・デイヴィス&アンソニー・ヤーン著、音楽之友社刊)、『発声ビジュアルガイド』(セオドア・ダイモン著、音楽之友社刊)。ONTOMO MOOK『人生をより豊かにする音楽と医学-のど、脳、身体の機能から探る』(音楽之友社刊)




