
耳鼻科医から見たアーティストと演奏 第2回
- コラム
耳鼻科医の立場から、医学と演奏を探る
耳鼻科医の竹田数章氏による隔月連載『耳鼻科医から見たアーティストと演奏』、第2回目のゲストはテノール歌手の望月哲也。歌手は身体のコンディションを保つため、ふだんからなみなみならない努力をしているが、望月も喉のケアには人一倍気を使っている。<音楽之友社刊「音楽の友」2020年3月号掲載>

声楽家との対談となった今回は、「マスケラ」など専門用語がとびかった
水分と加湿
クラシック音楽の場合は、1日2時間以内くらいにとどめ、さらに少し時間をおいたほうが良いのです
冬は乾燥がひどくなり、《第九》などコンサートの続く機会が多くなるので、喉を酷使しますし、疲労も抜けにくくなります。
湿度や体内の水分は、声に影響します。声帯の表面が潤っていることが大事です。表面が渇ききっていると、声が出にくくなります。加湿もかなりやらないと、効果は少ないです。
40、50パーセント以上の湿度が良いと言われています。あとは水分を摂る。のど飴のようなものを補助的に使うことも良いです。コーヒー、紅茶、緑茶…… カフェイン入りの飲みものは、飲んだ後に乾きます。
お酒をよく飲むのですが(笑)、お酒を飲んだあと、水もたくさん飲むようにしています。
アルコールも喉が渇きますので、それは良い対策だと思います。
水は良いでしょうか。
真水は吸収が悪いのです。マラソンの選手は水分補給をしますが、真水ではなく、その多くはいわゆるスポーツ・ドリンク。腸管からの吸収が良いのです。ただし糖分が多いので、少し薄めるなど工夫する場合もあります。
冷たい飲みものよりも、温かい飲みもののほうが良いのですか。
声帯は筋肉で動かしているので、温かい飲みもののほうが無難かもしれません。
自分のキャパシティをきちんと知る
自分を守る意味で、自分のキャパシティをきちんと理解しなければいけないと思います(望月)
2時間ほど歌ったあと、良い状態に戻るのに20時間かかると言われています。声帯、つまり身体を楽器にしているので、長時間続けては歌えないと思います。歌ったあとに充血や炎症を起こすこともあります。
合唱でほかのメンバーが歌っているのを聴くだけで、声帯が反応することがあります。
ですからクラシック音楽の場合は、1日トータル2時間以内くらいにとどめるのが一つの目安です。
僕はテノールですが、ハイC(三点ハ音)の音が出てくる曲を本番で歌わなければいけないとき、発声練習ではハイCまではアプローチせずに道筋を追うだけにして、共鳴をどう回して使っていくかをイメージするだけにとどめています。
それは、声帯に負担がかからないので良い方法だと思います。重要なのは、質の問題です。よくあるのは、喉に力が入りすぎたまま発声するなど、まちがった声の乱用です。
声帯は、長さや厚さなど人それぞれ違いますし、声量などのキャパシティも人によって違います。美しい声を出すためには、いくらフォルテッシモの要求があったとしても、自分の楽器(身体)を守る意味で、自分のキャパシティをきちんと理解しなければいけないと思います。
その意味で、歌い手に合ったレパートリーは重要です。どんな曲も歌えるのは望ましいことだと思いますが、現実的には厳しいのです。声の高さは、基本的に声帯の振動数によって決まります。楽器でいえば、長い弦は低い音を出しやすいのです。バスやバリトンの人の声帯は長い人が多いです。それから、声帯の幅や厚みも関係してきます。それは質量ともかかわっています。質量が重いと低く、軽いほうが高い音を出しやすいのです。もう一つは使いかた。声帯を前後に引っ張る筋肉(輪状甲状筋)の使いかたです。弦楽器と同じで、この筋肉が働くと声帯の張力が増します。声帯の張力のかけかたがうまい人は、無理なく高い音を出せます。低音については、張力を下げます。自分では声帯を見ることはできないので、音声を専門にやっているドクターに診察してもらい、そのアドヴァイスも参考にはなると思います。

マスケラ
フランスのオペラやいわゆるシャンソンを歌う際には、ディクションの問題があります。「R」など喉の奥を使う音を、厳密に求められる場合があります。でも基本的には、僕は、鼻母音はとても良いと思うのです。(望月)
鼻母音は、鼻腔に共鳴させる音なので、マスケラ※を意識しやすく、それは良いと思います。
マスケラをもっと意識し、僕も蝶形骨やその裏の部分を通して音の振動を感じるくらいに声をとどめておきたいですね。
歌手は、上咽頭のほうに音を回して、マスケラのあたりでも共鳴させることができますので、その音を使ったほうが声帯の負担が減る場合もあり、音色もさまざまに表現できます。口先から出る音は、俗にいう「そばなり」。遠くには飛びません。話し言葉とは違う、歌の響かせかたです。
体調が悪いときに本番を迎える場合
基本は息の流れです。息の流れに声が乗っかると、自然な表現ができると思うのです(竹田)
少し調子の悪いときは、副鼻腔の共鳴の部分を意識して、ハミングで指定位置を探し、いつもよりも声帯の使いかたをソフトにして、息の流れでもってレガートを心がけるなど、声帯に負荷をかけない歌いかたを心がけています。テノールのアクート(高音)を出すとき、喉の筋肉も意識しなければならないと、あるイタリアの先生がおっしゃっていました。喉の力を抜いて声を出しなさいとも言われました。調子の悪いときは、うまくバランスをとりながら、息を通して高音にアプローチできるような状況を作っていきます。
良い対処をしておられます。共鳴でカヴァーすること、それから呼吸のフローの使いかたで補います。すると、声帯を強く締めなくても、その音は鳴ってくれる可能性があります。筋肉で強く締めると、筋肉の疲労も増す。また、喉の炎症も増えます。
強弱の幅も狭くなってしまいますね。それから、大きな声を使うのではなく、それ以外にできることに気をつけます。イタリア語の[f]や[s]の子音は、す〜っと息を出せるときがあります。たとえば、高いF(ヘ音)がある曲を歌う場合。その音が出しにくいときには、[f]の子音を前にして、振りかぶりの部分をいつもより余分に作り、確実に息を流しま す。ふぅ〜と息に母音を乗せるように。ていねいにアプローチすることで、声帯への負担も少なくなると思います。
基本は息の流れです。息の流れに声が乗っかると、自然な表現ができると思うのです。日本の音楽大学では、講義で声の基礎作りが取り上げられることが少なく、その点は残念ですね。
※注)イタリア語で「仮面」。声楽では顔面の上部(顔の前面部)を指し、仮面をつける位置を意識することからきた
プロフィール

望月哲也(もちづき てつや)
1973年生まれ。文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として、ウィーンで研鑽を積む。東京二期会、びわ湖ホール、新国立劇場等で、モーツァルト《皇帝ティートの慈悲》表題役、プッチーニ《ラ・ボエーム》ロドルフォ、モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》フェランド、ワーグナー《タンホイザー》ヴァルター、同《ワルキューレ》ジークムント等に出演。
2020年オペラ夏の祭典ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ダーヴィット出演予定。宗教曲の分野でも評価が高く、W.サヴァリッシュ等の著名な指揮者と多数共演。二期会会員

竹田数章(たけだ かずあき)
1959年生まれ、京都府出身。仙川耳鼻咽喉科院長。日本医科大学大学院博士課程卒業。医学博士。現在仙川耳鼻咽喉科院長。桐朋学園・洗足学園非常勤講師。音声生理学や臨床音声学の講義を行う。文化庁能楽養成会(森田流笛方)研修終了。趣味は音楽、スポーツ、観劇、フルート、書道。監訳書に『ヴォイス・ケア・ブック 声を使うすべての人のために』(ガーフィールド・デイヴィス&アンソニー・ヤーン著、音楽之友社刊)、『発声ビジュアルガイド』(セオドア・ダイモン著、音楽之友社刊)。