耳鼻科医から見たアーティストと演奏 第15回

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耳鼻科医の立場から、医学と演奏を探る

2023年初のゲストは北原幸男、この連載二人目の指揮者の登場だ。北原といえば、宮内庁楽部洋楽指揮者を務めていることから、天皇皇后両陛下御即位のパレードで、自身で作曲した行進曲《令和》を指揮したように、皇室関係での演奏が思い浮かぶ。
<音楽之友社刊「音楽の友」2023年1月号掲載>

父と同じように尺八も勉強していたという

鼻呼吸

北原

普段から身体のことにはとても興味を持っています。ぜんそくのアレルギー体質だったものですから。私には尺八奏者という選択肢もありましたが、息子にはなかなか厳しいなと父が思っていたこともあり、その道には進みませんでした。いまはよくなりました。そのなかで、長年お世話になっている東洋医学の先生に、鼻呼吸が大切であることを教えていただきました。

竹田

鼻呼吸はとても大事です。生物の進化を考えても、鼻が本来の空気の通り道で、口はどちらかといえば食べ物の通り道です。鼻で呼吸することでメリットもたくさんあります。まずは、加湿。潤すことができます。口呼吸をすると、口の中やのどが渇くので、声にもよくありません。また、鼻から吸うことでチリを除くこともできます。チリを体内に入れてしまうと、呼吸器に悪影響が出ます。それから、加温です。鼻のなかを空気が通るために少し温度が加わります。冷気を吸うのも刺激になってしまいます。人間は喉頭で声を出しますが、鼻呼吸のほうが、喉頭との関連がつきやすくなります。それから横隔膜も本来、呼吸の筋肉ですけれど、横隔膜との関連も鼻のほうがつきやすいのです。鼻をつまんで息をしていただけばわかりますが、口で呼吸すると前胸部の前のほうだけが胸郭が持ち上がるようになりがちです。鼻から吸うと横隔膜が下がり、腹式呼吸になりやすいですね。

北原

私もヨーロッパを本拠にしていたときに、子供がおしゃぶりをくわえることで鼻呼吸を覚える話を聞いたことがあります。日本では歯並びが悪くなるとの理由で、おしゃぶりをあまり勧められていないようです。鼻呼吸は、口で呼吸するよりもはるかに筋肉が連動して動きやすい。大学で指揮を指導していますが、呼吸や身体の使いかたはとても大切なのだと感じています。

道下

ヨーロッパで活動していたときは、体調はいかがでしたか。

北原

いろいろな場所を転々とすることもありましたし、指揮だけではなく、コレペティトゥーアもやっていたので、休みなしで本番が続いたり、本番の日も別の演目の稽古を行っていたりもしました。疲労がたまったとき、呼吸症状が出やすかったですね。でも、ヨーロッパはちょっと都心を離れると森や公園もありますので、いつもよい空気を吸い、自然に触れる機会も多くありました。

道下

喘息の治療にはとてもよい環境ですね。

家内から「健康オタク」と言われます(北原)
「自然治癒力」をうまく使って治していく方法ですね(竹田)

自然治癒力

道下

歌劇場の総監督などを務めていたなかで、歌手の喉のトラブルに接することはありましたか。

北原

注射や薬類に頼りすぎる人は、気がついたときにはもう、その人のキャリアはダメになっています。ドイツ・オーストリア系の歌手は、若いうちからワーグナーのような重いものも歌わざるを得ないこともあり、それで喉を壊してしまうケースもあります。それから、聴衆の意思表示がはっきりしているので、ブーイングなどもすごいのです。調子が万全ではない状態で歌い、ブーイングの嵐が起こり、歌えなくなってしまう人もいます。

道下

先ほど東洋医学とおしゃっていましたが、漢方薬は使っていますか。

北原

薬というよりは、身体のプラクティスですね。ツボもふくめ、足揉みなどで自分の自然治癒力を大切にしています。副作用はないですし、どこでもできますから。家内から「健康オタク」といわれます(笑)。

竹田

身体を自分が直すもの……その人の「自然治癒力」をうまく使って治していく方法ですね。たとえば、薬を使ってもう少し早く炎症を取ることもあります。でも、自然治癒力を高めていくほうが、コロナもそうですが後遺症も収まりやすいと思います。身体の経絡や経穴を刺激し、自然治癒力を高めることでケアしていく。漢方医学ですと、漢方薬、針や温灸を使ったツボなどへの刺激、それからマッサージのようなことの3つを組み合わせます。全身の状態でもって演奏につながるわけですし、全身の支えが悪くなると、喉で歌ってしまうなど、喉に負担がかかり痛めてしまいます。

北原

立っているときでも歩くときでも、どこに意識を置き、どこに重心を置き、どこの筋を使うか。たとえば、丹田……下半身を充実させる。昔、人は素足で歩いていましたので、なにも足揉みをしなくても自然に刺激はあったわけです。私たちは鼻と口を使って呼吸していますが、足の裏から呼吸運動につながります。全身の筋肉でも、日常生活で使われる筋肉と使われない筋肉とがあるので、使われていないとどうしても硬くなりますので、とにかく動かします。

竹田

先ほどの「早くダメになる歌手の話」がありましたが、じつは喉もそうです。たいてい喉を硬くしています。そうすると声帯も強く締めがちなので喉を傷めてダメになってしまう。緩めるとよいですが、その部分だけを緩めようとしてもなかなか緩みません。下半身をふくめて緩めてあげなければいけません。ドイツの呼吸法にアーテム・トーヌス・トン(Atem-Tonus-Ton 、呼吸-筋肉の使いかた-音・声)という呼吸のエクササイズがあり、呼吸と声をつなぐ筋肉の使いかたを研究しています。身体を締め、腰にも力を入れて歌うと声がドーンと出るように感じられますが、そればかりを続けているとノドや身体を痛めることがあります。緩めた柔らかい音を声につなげていくこともA-T-T法ではやっています。

北原

日本語として、「力を入れる」という言葉には硬いイメージがあり、エネルギーという言葉をなるべく使うようにしています。この世のなかは、エネルギーや「気」に満ちています。長い公演を続けていると指揮者は疲れるのではと思われるかもしれませんが、そこがうまくいけば、その場にいらっしゃるお客さまや演奏家との気の交流を通して、ますます元気になるようなこともあります。

竹田

アーテム・トーヌス・トンでは、地面からのエネルギーを足から受け取り、空間のエネルギーを身体に受け、上から降り注ぐエネルギーを自分に受け止めてそれを演奏に活かしていこうという話をします。人と人との交流は、大きなエネルギー帯がぶつかり合う状態ですね。


イラストで知る発声ビジュアルガイド
セオドア・ダイモン 著
竹田数章 監訳
篠原玲子 訳
【定価】2750円(本体2500円)

プロフィール

北原幸男(きたはらゆきお)

1957年、尺八奏者二代目北原篁山の長男として東京に生まれる。桐朋学園大学卒業。インスブルック歌劇場専任指揮者、ドイツ・アーヘン市立歌劇場音楽総監督などを歴任。国内でも多くのオーケストラに招かれるとともに、オペラ公演でも高い評価を得ている。プラハの春国際コンクール第3位入賞。グローバル音楽奨励賞、下總皖一音楽賞受賞。現在、宮内庁楽部洋楽指揮者、武蔵野音楽大学教授、新潟県音楽コンクール審査委員長、埼玉県富士見市文化芸術アドバイザー。先の天皇皇后両陛下御即位における祝賀御列の儀パレードでは、自身が作曲した行進曲《令和》を指揮した。

竹田数章(たけだ かずあき)

1959年生まれ、京都府出身。仙川耳鼻咽喉科院長。日本医科大学大学院博士課程卒業。医学博士。現在仙川耳鼻咽喉科院長。桐朋学園・洗足学園非常勤講師。音声生理学や臨床音声学の講義を行う。文化庁能楽養成会(森田流笛方)研修終了。趣味は音楽、スポーツ、観劇、フルート、書道。監訳書に『ヴォイス・ケア・ブック 声を使うすべての人のために』(ガーフィールド・デイヴィス&アンソニー・ヤーン著、音楽之友社刊)、『発声ビジュアルガイド』(セオドア・ダイモン著、音楽之友社刊)。

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