耳鼻科医から見たアーティストと演奏 第11回

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耳鼻科医の立場から、医学と演奏を探る

青木涼子は、平田オリザが演出したエトヴェシュ《くちづけ》や、「サントリーホール サマーフェスティバル」での細川俊夫《二人静》等の出演で注目を集めた、ヨーロッパでも活躍する能声楽家だ。「能」と「現代音楽」という独自のジャンルを切り開いている青木だが、ノドの悩みなどはあるのだろうか。<音楽之友社刊「音楽の友」2022年1月号掲載>

 

喉や鼻で、なにか悩み事とかございますか。

青木

能では、地声を使って歌います。歌手のようなファルセットと比べ、地声はそんなに長時間は出せないのでしょうか。

竹田

謡には、「謡人結節」という言葉があるくらい、声帯に結節という、ペンだこのようなものができやすいのです。地声で力強く歌うので、声帯が強く合わさっているのです。接触が強くなると、ぶつかる粘膜のところにペンだこのような硬いものができます。それで、声帯を痛めやすいのです。ファルセットは、左右の声帯の接触があまりない状態で声を出しています。左右の声帯が合わさって発声している状態を閉鎖期と言いますが、その閉鎖期において、しっかり、長く合わさると、豊かな声…… 倍音成分も多い音色感になるのです。ファルセットは閉鎖期があまりないし、接触している時間もかなり少ない。要するに、地声とファルセットでは音色感が違ってきます。「謡い」の力強い響きの声もすばらしいのですが、やはり地声で強く合わせる発声のほうが、負担になりやすいのです。

「能楽師は謡う前にまったく発声練習などをしないでいきなり声を出すのですが、やっぱりしたほうがいいのでしょうか」との青木さんの問いに「発声練習をしたほうが良いです」と竹田先生

喉をつぶす

青木

お能の稽古で、「喉をつぶせ」とおっしゃる先生もいました。

竹田

喉をつぶすぐらいに大きな声でやれと。昔からいわれている稽古法です。

青木

その声が一般的に美しいかどうかは、現在ではわかりません。名人で「難声」の人はいらっしゃいますが、たぶん良い声に越したことはないかと思うのです。

竹田

そうですね。結局、結節ができてしまい、しわがれた声になってしまいます。ただ、能では、いわゆる美声を求められているわけではないという先生もいます。しわがれた声でも、役の演技力や全体を評価されるもので、セリフも多く、それらが気迫で伝わればよいと。でも歌いにくくなる状態までいくことは、避けたほうがよいと思います。

地声が低い…
合唱に悩んだ小学生時代

 

14歳から能のおけいこを始めたそうですね。

青木

もともと声が低いのです。とくに小学生時代、女の子といっしょに合唱を歌うことができなかったのです。

竹田

江戸時代、能楽を本職とする人はほぼ男性でした。もともと女声は、男声よりもオクターヴ高いわけで、男性のなかに混じって同じ声の高さで女性が謡うことや、掛け声をかけることがむずかしかったのです。そういうこともあり、能楽界では女性が少なかった歴史があります。青木さんは、たしかに低めの声でいらっしゃるから、その点では謡を始めてよかったですか。

青木

よかったのだと思います。でも、私のような子供は、どうしたらよかったのでしょうか。

もともと声が低いので、謡を始めてよかったのだと思います(青木)
謡は地声で力強く歌うので声帯を痛めやすいのです(竹田)

竹田

個人の声域は、その人の身体のつくりによって異なります。声の音源は声帯で、たとえば声帯の長い人、短い人、幅の太い人、細い人、厚みのある人というように個人差があり、それらが声域や音色に影響を与えることがあります。ですから本当は、そのお子さんの声域に合った曲を歌うほうが好ましいのです。

青木

ファルセットを学んだら、高い声は出るものですか。

竹田

その可能性はあります。

青木

私の場合、高い声と地声との切り替え(チェンジ)がうまくいかないのです。

竹田

地声と裏声の切り替わる場所ですよね。チェンジの位置は、発声に関与する筋肉の使われかたが切り替わるところです。声帯を動かす筋肉はたくさんあります。前に引っ張る筋肉を輪状甲状筋(前筋)といい、声帯を引っ張っていくと声帯が薄く伸び、高い声が出やすくなり、さらにファルセットのような声も出やすくなります。中音域や低音域ではその力が緩むのです。すると甲状披裂筋(内筋)が優位に働き、声帯が短くなって太くなります。それから、外喉頭筋……喉頭の支持筋といわれ、喉頭全体を上げたり下げたりする筋肉もチェンジの前後で働きが変わります。いわゆるベルカントの人たちはチェンジのところがわからないくらいに、裏声と地声がはっきりと切り替わるのを嫌い、なるべく滑らかにつなげていくような筋肉の使いかたを見つけていく…… それが一つの修練なのです。ところが伝統的な邦楽は、一般的には地声による発声で、喉に力を入れて歌って高音を出します。ベルカント的な発声も身につけると、さらに表現の幅が広がるかもしれません。

海外での活動のなかで

 

ふだん、どんな喉のケアをしていますか。

青木

タオルなどを首に巻いて寝ることもあります。起床したときに喉が痛かったことを歌手のかたにお伝えしたところ、「首を温めて寝なければダメでしょう」と。それは正しいのでしょうか。

竹田

冷やしすぎるのも良くありませんが、喉が痛くなる要因はほかにもあります。よくあるのは、鼻が悪い人に多い口呼吸。口で呼吸をすると、喉がとても乾燥します。それから逆流性食道炎。お酒を飲んだあと、胃酸が逆流している可能性があります。

青木

イタリア滞在中、咳が止まらなくなりました。初めは風邪だと思っていたのですが、治らなくて医者へ連れていかれ、逆流性食道炎の薬を出されたことがありました。

 

ほかに、どのようなケアをしているのですか。

青木

喉が痛くなりそうなとき、麻黄附子細辛湯という漢方薬を飲みます。

竹田

この薬は咳の症状にも使います。痛みなどにも効く附子は、気管支拡張作用や鼻づまりにも効くエフェドリンという物質です。身体も温まります。鼻も、歌の人にとってはとても大事です。少しでも鼻をよくしておくと、楽だと思います。

プロフィール

青木涼子(あおき りょうこ)

能の「謡」を現代音楽に融合させた「能声楽」を生み出し、現代の作曲家を惹きつける「21世紀のミューズ」。2013年テアトロ・レアル王立劇場での衝撃的なデビューを皮切りにヨーロッパを中心に活動し、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など名門オーケストラと共演。これまで世界20カ国50人を超える作曲家たちと新しい楽曲を発表。世界からのオファーが絶えない、現代音楽でもっともも活躍する国際的アーティストのひとり。

https://ryokoaoki.net/

竹田数章(たけだ かずあき)

1959年生まれ、京都府出身。仙川耳鼻咽喉科院長。日本医科大学大学院博士課程卒業。医学博士。現在仙川耳鼻咽喉科院長。桐朋学園・洗足学園非常勤講師。音声生理学や臨床音声学の講義を行う。文化庁能楽養成会(森田流笛方)研修終了。趣味は音楽、スポーツ、観劇、フルート、書道。監訳書に『ヴォイス・ケア・ブック 声を使うすべての人のために』(ガーフィールド・デイヴィス&アンソニー・ヤーン著、音楽之友社刊)、『発声ビジュアルガイド』(セオドア・ダイモン著、音楽之友社刊)。

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